「砂糖の世界史」(川北稔 岩波ジュニア新書 1996年)の読書メモ。
前回の読書メモはこちら。「砂糖の世界史」読書メモ1、「砂糖の世界史」読書メモ2、「砂糖の世界史」読書メモ3
第9章 砂糖きびの旅の終わり
- この章はこれまでのサトウキビの話から、ビート(砂糖大根、甜菜)の話へ。
- 1747年、プロイセンのA・S・マルクグラーフによってビートに糖分が多く含まれていることを発見。1786年にはK・F・アッハルトによりビートの品種改良や製糖研究がなされ、1799年には本格的なビート糖の製造が開始された。
- 当時プロイセンと対立していたフランスのナポレオンもビート糖に関心を持ち、デレセールに研究を進めさせた。
- 1840年には世界の砂糖の5%がビート糖に。ヨーロッパやアメリカなど、サトウキビ栽培に向かなかった地域に急速に広がっていく。日本でも明治以降、北海道でビートの栽培が始められる。
- 1880年代にはビート糖の生産がサトウキビ糖を追い抜き、19世紀末にはイギリスの砂糖輸入の75%がビート糖だった。
- 現在(出版時1996年)では世界の砂糖の60%シェアがサトウキビ糖となっている。その理由として、ビート糖の製造は政府支援がないとコスト高という問題と、サトウキビ糖の生産力が奴隷がいなくても移民などの労働力で回復傾向にあったことが挙げられる。
- 砂糖の現在の敵は食生活そのものの変化。「砂糖の消費量が豊かさのバロメーター」からの価値観の変化。健康志向による甘味料の使用。砂糖の時代の終わり。
エピローグ モノを通じて見る世界史(&あとがき)
- 世界史を通じた、世界商品である砂糖の歴史について。
- P201の扉絵「かえで糖の煮詰め」グランマ・モーゼス画。
- この本は「世界システム論」と歴史人類学の方法を使って書いた。シドニー・ミンツの著作(「甘さと権力」?)を参照した。そのせいか、参考文献などの記載はなかった。
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