「砂糖の世界史」読書メモ2

「砂糖の世界史」(川北稔 岩波ジュニア新書 1996年)の読書メモ。

前回の読書メモはこちら。「砂糖の世界史」読書メモ1

第2章 カリブ海と砂糖

  • この章は砂糖プランテーションの一大生産地となったカリブ海についての話。
  • 16世紀以前のカリブ海は海賊と金銀の鉱山くらいしかなかったが、砂糖きびが持ち込まれてからは大規模なプランテーションが開発されていった。砂糖しか作らないモノカルチャー社会が形成されていく。
  • 砂糖きびの栽培という農業と、砂糖の精製という工業の両立。労働力として大量の奴隷が流入し、奴隷貿易(三角貿易)の発展。
  • W.クラーク「アンティグア島の十景」(1823)→砂糖プランテーションの様子を描いた6枚の絵
  • エキアノ→ナイジェリア生まれで、砂糖プランテーションに奴隷として送られた。のちに自叙伝を書いた。
  • イギリスのジョージ3世のエピソード→大金持ちとなった砂糖プランターの豪華な馬車を見て、同じ馬車に同乗していたピット首相を問い詰めた。

第3章 砂糖と茶の遭遇

  • この章は大量生産されるようになった砂糖がヨーロッパに入ったことで、砂糖の位置付けが「くすり」や「貴重品」から「食品」へと変化していき、イギリスでは東の端(アジア)から仕入れた紅茶と西の端(カリブ海)から仕入れた砂糖が出会い、砂糖入り紅茶という文化の誕生に至るという話。
  • ある研究者による砂糖の5つの作用→①薬品、②デコレーション(装飾)、③香料、④甘味料、⑤保存料
  • 11世紀のアラビアの医学者アヴィセンナ(イブン・スィーナー)「砂糖菓子こそ万能薬である」→アラビアの医学書は17世紀頃までヨーロッパ薬学の権威だった。
  • 12世紀ビザンティン帝国の皇帝に仕えていた医師→熱冷ましとしてバラの花の砂糖漬けを用いた。
  • 中世(~15世紀)のヨーロッパ医学の中心であるサレルノ医学校(イタリア)の医学書→砂糖の効用として「熱病、咳、胸の病気、唇の荒れ、胃病などに効果がある」とされていた。
  • 16世紀以降のヨーロッパの慣用句「砂糖を切らした薬屋のような~」=「絶望的な」
  • 16世紀の医学書「砂糖は虫歯を作りやすい」だけがデメリット記載。
  • 12世紀、「神学大全」のトマス・アクィナスも関与した砂糖に関する論争。「断食の日に砂糖を口にするのは戒律違反か?」→トマス・アクィナス先生「砂糖は食品ではなく薬だから口にしてもおk」→この時の、薬であるというお墨付きが16・17世紀の砂糖の広まりに寄与した。
  • P67。18世紀の砂糖の功罪に関する大論争。この頃に糖尿病の発見もあった。
  • 砂糖のデコレーション用途、パーティーやコース料理など→元々はイスラムが起源? 11世紀のマルタ(エジプト)で7万キロの砂糖を用いて祭壇に実物大の樹木を作ったという記録。他にも砂糖でモスクを作り、祭礼後に壊して貧民に分け与えたという記録。
  • P87。イギリス領カリブ海の砂糖の輸出量
  • P89-90。イギリスの歴史家「イギリスは偉大なので、東西から取り寄せた砂糖入り紅茶の方が国産のビールよりも安上がり」

第4章 コーヒーハウスが育んだ近代文化

  • この章はロンドンで一時期流行ったコーヒーハウスの話。
  • イギリス全土を旅したダニエル・デフォー、イギリス北部の農民が砂糖入り紅茶を飲んでいたのを見て驚いたエピソード。
  • P108。アメリカ合衆国独立前の1773年、イギリスの輸入品全体の25%以上が砂糖。

第5章 茶・コーヒー・チョコレート

  • この章は砂糖に関連するコーヒーやチョコレートの話。
  • P113。扉絵→アラビア人(コーヒー)と中国人(茶)とアステカ人(チョコレート)の3人が描かれた17世紀頃の絵→それぞれの産地を表すと共に、3つとも砂糖が使われている共通点。
  • アメリカ植民地と本国イギリスとの対立から、紅茶ではなくコーヒーやコーラの文化へ。ボストン茶会事件。イギリスではなく、フランス領サン・ドマング諸島(スペイン語でエスパニョラ)との砂糖取引が盛んになる。
  • カルロス1世→チョコレート(当時は飲料として)に砂糖を入れたとされる。

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